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D A Y S

LOOKING BACK ON MEMORIES


焼けた肌が思い出の証だ。
日が落ちたあとの虫の声に耳を澄ましてみる。
夜の長さが、心と会話できる時間をくれるはずだ。


子供達の笑い声が薄れ、これからやってくる規律ある日常に目を背けたくなる。勉強は進んでする方ではなかったが、決して学校が嫌いな訳ではない。楽しい思い出、友達との時間はとてもいいものだ。しかし夏休みという自由な毎日からの脱却は容易にではない。9月を快く迎えられる子供は存在するのだろうか。大人になった今ですらその感覚は残り続け、終わりゆく8月を寂しく想い、吹く風の心地よさを素直に受け入れられない。

子供の頃はよく星を眺めていた。あれは小学生3年生の頃だっただろうか。天体望遠鏡のチラシが帰りの会で配られた。今はないと思うが、当時は地球儀だとか国語辞典などのチラシが時折配られる事があった。それにあまり興味を示す事はなかったが、天体望遠鏡は違った。見た瞬間に心惹かれた。同時に星や宇宙の事を考えワクワクが込み上げた。大事なプリントさえもろくに持っていかない僕が、折り目もつけず持って帰った。両親はあまり興味を示さなかったが、じいちゃんがそれに乗ってくれた。

じいちゃんは昔からカメラが趣味だったり歴史、文化が好きなのか、僕を色々な所に連れて行ってくれた。今、僕自身も似たように色々な事に好奇心旺盛なのは、じいちゃんのお陰なのかもしれない。そんなじいちゃんが「買ってやるぞ」と言ってくれ、4〜5万円する天体望遠鏡を手に入れた。うれしくて毎日星を見た。サングラスのような真っ黒なレンズもあり、それで太陽を覗くとうっすらと太陽の形をとらえられた。夏の第三角形、北斗七星、時間を忘れてレンズを覗いた。

そんな時、ある恒星について調べた。その恒星の光は地球に届くまでに何億光年とかかるらしい。そして、星自体僕が見ている時には存在していないかもしれないという。光の速さはどのくらいかは知っていた。「一秒間に地球7周半」そのな光ですらとてつもない時間をかける宇宙。宇宙の広さ、時間を自分の存在や時間と比較したらなんか頭が「う〜〜〜〜。」ってなった。何日か悩んだ。小さすぎる自分の存在に軽く絶望したのかもしれない。「なぜ生まれて来たんだろう」「なんの意味があるんだろう」そんな事を考えた。もちろん答えなんて出るはずがないし、あるわけでもない。頭が痛くなった。人生最初の絶望だった。しかし、気づけた事があった。宇宙の中での自分の存在はあまりにも小さくなんの意味もないかもしれない、だからこそ自分で見つけなくてはいけないんだ「存在する意味を」と。

あれから何年経った事か好きな事、好奇心の赴くままに生きている。
空気が澄んで来た。今日も空には変わらずたくさんの星が輝いている。虫も少なくなるこれからは天体観測にはもってこいだ。

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Keita SENOH
Instagram:@keita_senoh

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Akira HIROYAMA
Instagram:@tas_akira